家づくりの話をする人。
 
 
 
かっこいい家。
使いやすい家。
大切な家事動線。
暖かくて省エネな未来の家をつくりましょう。

木下 善文

YOSHIFUMI KINOSHITA

注文住宅だからできる事がたくさんあります。
「ハウスメーカーには、できないですよね。こんな事」って、よく言われます。
” ずっと ” が 嬉しい家づくりを一緒にしましょう。

昭和55年6月29日 A型 かに座
飯田市 鼎 生まれ
 
 長野県の飯田市に生まれて、大切な家族と仲良く「ORE-HOUSE」暮らしています。
実家の横に暮らしているので、たまに両親や祖母とも一緒に食事をしたりしています。友達家族もよく遊びにきて、お酒を飲んだり食事をしたりとワイワイ楽しんでいますが、時を忘れてつい遅い時間になってしまう事もあります。汗
 

 さて、私は大工の家に生まれた長男坊です。祖父が大工として掲げた木下工務店という会社は、現在は父が代表。私で3代目という会社になります。私はお客様と一緒に ” 家を考える仕事 ” をしています。「こんな家はどうでしょうか?」といった提案者です。大工の家に生まれた次男坊=私の弟は、大工さんとして現場で活躍しています。そんな大工の家で生まれた、父(代表)と弟(大工)、そして母(経理)というまさに the 家族経営な会社ですが、常に新しい知識を学び、より良い家をお客様にご提案できるよう努めています。
 それから心強い協力業者会があります。数々のお家やお店を、力を合わせて作ってきました。業者会で勉強会も実施し、チーム一丸となって良い家をつくるための取り組みをしています。

 
 私は小学生の頃は少年野球で(鼎の青いチームです)二番バッターの三塁手でした。要するに長打はないがバントは得意、遊撃手や二塁手ほど器用ではないが、速い打球は獲れるというやつです。
 中学入学とともに J リーグが開幕します。という事で流行りのサッカーに転身(笑)。これを期に高校3年間もサッカー部に属することになります。基本的には守備よりも攻撃の選手でした。「先輩より先に水は飲むな」という時代。(今もそうなのかな?)正直、もう少し本気で部活に打ち込めば良かったかも・・と、今は思ったりもしますが、いい思い出です。最近の高校生は運動部に入部する生徒が少ないそうなので、ぜひスポーツはやってもらいたいと願うばかりです。
 
 そんな高校生の頃、恥ずかしながら生徒会長を経験。この経験が私の将来に大きな影響を与えていきます。とりあえず、実家の跡取り息子として地元の高校(建築学科)に入学したものの、生徒会長を経験し、いろいろな先生と出会う中で将来の夢が高校教師になりました。将来は建築を教える教員になる と、心に決めて教員免許が獲れる大学(建築学部)に進学させてもらうことに。「教員免許が獲れればいい」くらいでしたが、ある先生との出会いで建築学というものにハマります。現在、楽しく仕事ができているのは、この頃の経験があったからと思っています。
 
 良かったのか  そうでないのか、当時の長野県の教員採用試験は採用が0人(高等学校の建築学科の採用)。そこで当時の夢は断念。建築業界へ、社会人としての第一歩を踏み入れることになります。都内の設計事務所へ憧れもありましたが、地元の事務所に入所し、業界の基礎を学びます。
 学生の頃思い描いた仕事とはほど遠い、現実の世界がそこにありました。華やかで巨匠と呼ばれるような建築家という世界ではなく、工場の屋根の増築や水廻りの改修工事の図面描き、決められた間取りの製図などです。
 6年ほど務めた後、木下工務店に入社しますが、設計事務所時代に経験した事がとても貴重だったと思っています。建築家と呼ばれる ” デザイナー的な建築士 ” よりも、お客様に寄り添った ” リアルな生活がデザインできる建築士 ” に憧れをもつようになりました。見た目、デザイン、意匠は大切です。しかし、それよりも暮らし方、住まい方の方が大切だと考えるようになったのです。
 
 私の家には 1.3m×2.7m の大きな作り付けのテーブルがあって、そこで食事をします。学校から帰ってきた子ども達はそこで宿題をします。それから、親子でピザを作ります。絵も描きます。絵の具を使って大きな紙に。友達家族が集まれば、そこで宴会が始まります。大きなテーブルで。
 ひとつの大きなテーブルが、私たちの暮らしを少しだけ ” 楽しく ” してくれます。大きなテーブルは、インテリア的に大きなアクセントとなっていますが、暮らし方にも大きなアクセントを与えてくれます。色んなコトが大きなテーブルで起こり、私たち家族が笑顔になります。
 「モノ」より「コト」をつくる仕事。人が住まう家だからこそ「コト」を大切にした家づくりがしたいと思うようになりました。
 
 ある日、一人の営業マンから「とても良い断熱材があるので話を聞いて欲しい」と言われます。それまでは、断熱材は二の次。大切にしたいのは間取りであり、動線であり、デザインだと思っていました。その断熱材こそが「スーパーウォール工法」だったのです。
 この断熱材は、まさに ” 高性能 ” という言葉が適していると思います。私たちが住むこの地域は、真冬はマイナス10度、真夏には40度近くにもなり、その温度差は50度ほどです。人が住む環境としてはとても過酷です。そこで楽しく、快適に暮らすためには、高性能な断熱材は必須なわけです(詳しい性能のお話はお会いした時に)。
 例えば暮らしやすいと言われるアメリカ西海岸のロサンゼルスは、冬が5度で、夏が30度くらい。温度差はこの地域の半分くらいですね。
 
 なぜ、私が高性能な断熱材が必要だと思ったかと言うと、大切に考えていた間取りや動線、デザインをもっと良くするものだったからです。家全体が暖かいので間取りも自由度が増し、動線計画も豊富になります。デザイン面でも、間仕切り壁を少なくすることができるので、様々な試みができるのです。そして何より「省エネ」。光熱費が本当にかからないのです。これには感動しました。
 ORE-HOUSEに暮らして ” 快適 ” という意味を理解しました。人が楽しく住まうためには快適性が欠かせないのです。そうは言っても失敗もあったので(笑)、今はその失敗を活かしてお客様にご提案をしています。
 
 人生は楽しい。そう感じる家づくりは決して簡単なものではありません。一言に楽しいとは難しく、いろんな体験や経験が積み重なって、楽しいと呼べる気持ちになるのだと思います。暖かい、涼しい、かっこいい、使いやすい、気持ちがいい・・・。たくさんの要素がつまった箱。それが家です。
 家づくりは簡単ではないですが、私はそういう家づくりが好きです。お客様と一緒に「あ〜だ、こ〜だ」と線を引き、格好良くなっていく家づくりが好きです。「色々言ってすみません」と言う人もいますが、そんな事は決してなく、私も一緒に楽しんでいるので安心してください(笑)。そして、完成した家で起こる素敵な出来事を聞くたびに、私も一緒に感動することができます。
 
 一緒に、家づくりを楽しみましょう!

 
 
 もう少し。
 木下工務店で働きだした頃、母校で非常勤講師として教壇に立つ機会がありました(4年間)。仕事のかたわら教壇に立つという貴重な経験ができたので、一応、夢はかなったのかな、と。笑
 人に誇れる趣味はありません。意外と言う人もいらっしゃいますが、無いのです(汗)。もし、こんな私に良い趣味があれば教えてください。人生は・・ですからね。この歳になってギターに憧れています。動画サイトでLIVE映像を夜な夜な見ては、憧れに耽っています。あと、海外映画や海外ドラマは見ます。a-zプライム様様ですね。
 続きはまたお会いした時にお話しましょう。家づくりのことも、日常のことも。
 
 
 
 長々と自分の事を書いてしましましたが、目を通していただき  ありがとうございます。
 今後とも宜しくお願いします!